ナビの北海道旅行記2012 パート4
7月20日
しっかり爆睡しているところに「おはよう放送」が入る。んも〜眠いっすよぉ〜〜ってグズグズしながら時計を見ると4時20分だった、、、、。あんぎゃ〜〜もう到着じゃん!てっきり まだ4時だと思っていたよぉ〜〜。って甲板に出てみるとマジ八戸港に入港どころか接岸寸前。急いで着替えと荷物をまとめなければ。持ってきた荷物少なくて助かった。
エレベーターで階下におりてバイクに積載した荷物を確認してからスタンバイ。いつでも出発できる。大型トラックが先に下船していく中で最後にバイクが下船。気がつけば5時20分頃まで待たされてしまった。しかし、、、、最高の船だなあ〜〜。気に行ったぜ!!シルバープリンセス。但し俺の住まいの埼玉からではメッチャクチャ遠いのが難点なのと就航時間が短すぎるってのが問題かな?
以前乗っていた大型バイクならば高速道路をカッ飛ばせば午後には自宅に戻れるだろう。でも、150ccのスクーターじゃエンジン壊れちゃうじゃん。そこで、石巻を中継地にして2日かけて戻る事にした。そこで、内陸部を走るのではなく三陸沖を縦断してみたい。不謹慎と思われるかも知れないけれども、津波の被害を自分の目で、耳で、体で見てきたい。決して興味本位ではなく、実際を感じてきたかったから。もちろん ただ走るだけではなく、少しでも地元に貢献したいので、土産とか買えるものは買って帰りたいし。自分の力では微力すぎるけど、それでも少しでも貢献したい。そう思っていた。
ただ、東北は北海道と違って俺には土地勘が全くない。地図すら持っていないし何処へ行けばいいのか?これこそパーソナルナビが役に立つ。八戸市内は道が判らずウロウロ。何とか国道45号線を見つけて仙台方面に。しかし仙台まで400kmのキロポストを発見、、、。あちゃ〜多分、仙台から石巻までの距離を差し引いても単純に350kmはあるのか、、、考えが甘かったかな?ここは北海道じゃないんだから。
失礼ながら走った事のない東北には俺の知らない町がたくさんある。八戸から南下すると階上町に。「かいじょうまち?」って読むのか?って思っていたら「はしかみまち」なんだとか、、、。失礼しました。階上町はウニが特産品なんだそうで、ウニを使った汁が「いちご煮」として有名なんだそうだ。ウニが大好きな人には最高なんだろうな、、、、。俺ってウニはちょっと弱いんで、、、。で午前6時前だったけど道の駅「はしかみ」で休憩。暖かい缶コーヒーの自販機があったのには助かった。さすがに時間が時間なので、何も店がやっていなかったけど。
階上町を抜けると岩手県の洋野町。ここから陸前高田町まで、ず〜〜っと岩手県が続く。で、面白い看板を発見。緑色のボードに「お隣は岩手県。素晴らしい旅を。青森県」だって!隣どうし仲がいいのかな?
間もなく国道45号線は海岸沿いに進んでいく。遠く太平洋が見え隠れしている。そこで発見した津波の看板。津波浸水想定地域と記載されているけど北海道と違って標高の表示がない。北海道の場合「この道路は標高○mです」って表示が警告板といっしょに記載されているので、ある程度の参考にはなっていたけど、これじゃ どれくらの高さなのか避難の参考にもならないじゃん。これって重要じゃないのかな?そう感じてしまった。
久慈市街はバイパスで大きく迂回してしまって市街地を通ることなく気がついたら野田村に入ってしまった。で道の駅「のだ」にも立ち寄ってみる。でも時間がまだ7時30分じゃ早すぎる。でも何人か人の出入りがあったので何かな?って建屋に入ると、三陸鉄道の陸中野田駅そのものだった。さすがに知らなかったなあ〜。被災後、三陸鉄道の北リアス線は久慈から、ここ陸中野田までしか運行していなかったんだけど、今年の4月に田野畑まで復旧したそうだ。
売店はまだ閉まったままだし、折角なので切符でも購入していこう。列車にも短区間でも乗車してみたかったけど、あいにく列車がくるまで時間があるので、それは諦めた。
今まで国道を走っては来たものの海岸際は走っていなかったので、津波の被害は各地であったんだろうけど、判らないまま野田村まで走って来た。しかし、陸中野田駅を出発してすぐ、恐ろしい光景が目に焼きつく。細い道路は元々住宅地の路地裏だったのだろうか?しかしその界隈では住宅の基礎と思われるコンクリートや玄関と思われるタイルが今でもそのまま残されていた。何たる光景だろうか、、、。目の前の線路は復旧後の三陸鉄道の線路だけど、その先の堤防と思われるコンクリートは破壊されたまま残されていた。
で、ここら辺は「十府ヶ浦」という観光地なんだそうだ。少しづつ回復していってるようだけど、周囲のがれきを見ると、、賑わいを見せるのはいつのことだろうか?早い復興を望みたいな。そう感じてしまった。
普代村から田野畑村に入ると国道45号線は内陸部に入って峠を越える事になる。当然寒さ以上に天候が怪しくなって雨が降って来た。結局合羽を着る羽目に。八戸港を走っていた時は今日は合羽必要ないと思っていたんだけどなあ。でも電光表示板での気温表示12度だって!マジっすか!寒いはずじゃん。これって北海道の石北峠の14度より低いんですけど、、、、。何なんだ!まったく!!
峠の標高はたったの380mなので、何でこんなに寒いのかが理解できないけど、、、。まあ、しばらく我慢するしかないか!まだ八戸から100kmも走っていない。時間も午前9時近くになってきた。
宮古市の田老地区に入ると「三陸大津波 ここから 昭和8年」と明記された看板があった。多分この表記から察するに昭和8年の大津波の被害がここからあったんだよ!って意味なんだろう。しかし現実はもっとひどかった。今俺が目にしている光景。昭和8年ではなく平成24年の光景。殆どの家々が跡かたもなく基礎ばかりになっていた。多分犠牲になられた方の家なのか、玄関と思われる場所には花がいけられていた。これって俺は何をすればいいのか、、、。
国道から離れて海岸線に向かうと大きな建物があるんだけど、2階部分より下は鉄骨だけ残っている、ナビで確認すると「たろう観光ホテル」だってのが判る。宮古市田老地区は何度もテレビで紹介された場所。あまりにショッキングな光景だった。これが今の日本の現状なんだろうか?って。
すぐそばの堤防と思われる場所は軒並み流出してしまって皮肉な事に通路避難用のガードの枠が残っているだけだった。反対側の田老漁港やその先の田老海岸、、、、。リアス式海岸ってのは判る。判ったうえで、どう考えたって津波がくるとは考えるだろうか?テレビの場合どうしてもリポーターの主観が入ってしまう。どうして逃げなかったのか?って!でも来てみて感じたのは俺だったら無理だったかも?そう感じてしまった。簡単に片づけられることじゃないよ。人ごとじゃない。
宮古市街地に入る前に見かけた海岸の堤防前のガソリンスタンド。屋根の給油機の機械がひん曲がっていた。これだけで、どれだけの津波の高さだったのかが判る。もしその時、俺が逃げるためにガソリンを給油していたら、どうなっていたか、、、。考えただけで恐怖を感じる。宮古市街は車の往来が多く迂回路を走ってしまったら市街地を抜けてしまった。道の駅に立ち寄りたかったが、仮設で移動したらしく判らないままだった。(海岸線側に仮設施設があったそうですが、知らないまま通り過ぎてしまいました。)
しばらく海岸線を走ったのち国道45号線は内陸部に入っていく。何気にJRの駅の看板が目に止まったので立ち寄ってみた。JR山田線の豊間根(とよまね)駅だ。駅そのものは変化がないけど線路施設の前後の区間が津波で被災したために列車が走れない区間になってしまった駅。1年近く手入れがされていないので、線路のバラストから雑草が生え放題。すんごいことになっている。
山田道路と言われる国道45号線バイパスで陸中山田市街は通らずスルーしようと思って走ると、ショッキングな光景が。今まで地上から見てきたけど、バイパスは山の中腹を走っているので、市街地を上部から見下ろす形になったんだけど、、、、。町がない!!!道路もあることはあるんだけど復旧のためにあるに過ぎない。
鉄道の線路はのきなみ流され 唯一 川の鉄橋と思われるトラスが残っていることが、線路があったんだ!って理解させてくれるだけだった。何だか、、、もう何も言えない。
このまま南下すれば大槌町にあるJR山田線の吉里吉里駅。これって何かで見た記憶がある。ちょっとした高台なので駅そのものに被害はなさそう。駅前には吉里吉里王国なる名称が、、、。これって井上ひさしの小説、吉里吉里人と同じ名称なので記憶があったみたい。実際は架空の地名で、ここが舞台になったわけではないそうだ。参考までにおすすめの宿としては北海道の留萌に吉里吉里ってのがあるけど、、、。
駅を出ると、またまた異様な被災住宅が、、、。床屋さんだった住宅なんだけど、1階は全損だったみたいだけど、2階の部分、、、何かにえぐられたような被害が、、。何か津波でぶつかったんだろうか?
釜石まで走って来た。釜石駅前で昼食でもって思って駅前に向かうもお店は軒並み混んでいるみたい。ちょっと遠慮しちゃった。この先でいいや!って思っていたら、、、オカモトセルフ発見!!あれれ北海道でなくてもガソリンスタンドがあるんだ!!!釜石SSだって。てっきり北海道だけのガソリンスタンドだと思っていたのに。そんなこと知らずにさっき別のスタンドで満タンにしちゃったので給油することもないか、、、。あれほど神様仏様オカモト様ってほざいていた俺なのに!調子いい奴だ俺って!
道の駅「さんりく」で昼食。晴れてはいるんだけど何となく寒い。そんなんで温まりそうなキムチラーメンをチョイス。まあ、単なる食堂なので、味の方はそこそこだったかな?今まで何回か道の駅に立ち寄って来た。しかし早朝だったこともあり何も買う事ができなかったり場所が判らないでスルーしてしまったりで、何一つ土産のたぐいを購入していない。そこで、岩手ならではの冷麺や南部せんべいとか、バイクに積載できる量を考えて購入。結構お金かかったかな?たいしたことではないけど、、、。それより土産で友人に渡したら、あれ?北海道行ったんじゃなかったっけ?って言われそう。
岩手県最後の町、陸前高田にまでやって来た。時々テレビでも放送されたことがあるだろう、定住促進住宅の被災住宅。5階建てで4階までのベランダのテラスがはぎ取られ5階も水に浸かったようだ。これって高さ何メートルよ?ハンパじゃないじゃん。
道路挟んだ反対側には布団か衣類か判らないけどガレキとして放置されていた。しかし雑草の生命力って凄いや!布からも生えているんだもん。
その先にある高田松原第一球場。照明設備やバックネットが見えたので野球場ってのは判ったんだけど、ここは地盤沈下しているのか、未だに水が引いていない。この近くに陸前高田の一本松があるんだろうけど、、、何だか悲しくて行く気がしなかった。
長い長い岩手県だったけど14時40分にやっと宮城県気仙沼市へ。いろいろ立ち寄ったので8時間もかかってしまった。もう少しで石巻かな?って思っていたら、まだまだ80kmもあるんだとか、、、。あと2時間か3時間ほどか、、、。
気仙沼市街に入って、、、何じゃ?これ?船が丘に上がってる、、、。もちろん津波で流されてきたんだろうけど、凄い光景だった。船の名前は第18共徳丸と言って全長60m重さ330トンの巻網漁船なんだそうだ。道路を走っているマイクロバスがミニカに見えてしまう。岸壁から推定500mはあるだろう。そこから流されてきたんだね。船の所有者は多大な金額がかかるので、船の移動を断念。町がモニュメントとして残していくんだとか、、、。しかし喫水線を考えても何メーターの津波だったんだろうか?
JR気仙沼駅で休憩。気仙沼駅はもともと大船渡線と気仙沼線の中継の駅だったんだけど、前後の線路が被災してしまったために、実質 一ノ関から気仙沼の区間列車の終着駅になってしまった。そうは言っても久しぶりに見た列車。間もなく一ノ関へ出発していった。
南三陸町まで走って来た。石巻までもう少し。で、JRの駅の案内板に清水浜駅ってのが目に止まったので何気なく市街地方面に向かってみた。初めは高台の堤防が破壊された場所に階段があるのかな?くらいにしか見えなかったんだけど、どうやら駅だったようだ。ここが看板に出ていた清水浜駅。危険がないことを確認して50段ほどの階段を上ってホームに降り立つ。駅名板も倒れたまま1年以上もの姿を見せている。
線路は押し流されくにゃりと曲がったまま崖下に落ちていた。たまたま地元の写真家の方もいて少し話をしてみる。コンクリートの橋梁がこうも無残に崩壊するって水圧の力は凄いですね!って話すと、実は水圧位でコンクリートが崩壊するってことは考えにくいそうだ。それより水位が高くなって流されてきたトラックや船舶が激突して壊れて行ったんだとか、、、。なるほど!堤防は水をせき止める関係で船舶とかの水面部位以下や水面以下に水没したトラックなどの大型機がコンクリートの堤防に激突するのに対して、橋梁は下部が何もない。つまり水の流れが強いまま船舶が流され水面に出ていた部位がコンクリートに激突して大破するらしい。このような想定は考えることなんかないから、いくら設計したところでひとたまりもないんだとか。
ちなみにもう一つ質問。もしですね?私たちが今ここで列車を待っていて津波に遭遇したとしたら助かりますかね?って問いかけると。海岸線からおよそここは500mくらい内陸かな?。高さも10mくらいあるでしょ!多分だけど何も出来ないまま 単なる傍観者として海を見続けているんじゃないかな?でも、ホームの待合室の上まで水が来ているのが判るよね!(壁に汚れがはっきり確認できました。)そうこうしているうち、水が押し寄せてきて私ら流されてしまったかもしれないよ!水の流れはとっても早いからね。って、、、この方の意見はとってもリアル、、、。怖かった。
志津川町では車の残骸が、、、。未だナンバーもついたままボコボコになった車が野ざらしになっている。なんとか、ここまで集積したのかな?もちろん全て廃車するしかないほどの酷さだったけど。しかしナンバーがついたままの乗用車って、、、、所有者は?まさか、、、、何て思いたくもない。無事であってほしい。
柳津で三陸自動車道を経由して石巻河南ICまで走ってホテルに。時間にして18時。ほぼ想定していた時間にチェックインできた。今日泊まるホテルはホテルルートイン石巻。バイクや自転車の駐車場がなかったので、ホテル入口の目の前に止めさせてもらった。今回のツーリング最終のホテル。さすがに荷物もかなりたまったなあ。お土産なんか重いのなんのって!!
チェックインして部屋に入る。何でだか判らないんだけど、シングルルームをオーダーしていただけだったのに、最上階のセミダブルの部屋だった。俺って何もコネないんだけどな?単なる偶然かな?その分見晴らしが最高だった。荷物をひとまとめにしてから石巻のお友達であるotabeさんにメールを入れてみる。彼の自宅は、このホテルから歩いて10分ほどのところにあるそうだ。実は折角 石巻に泊まるならばって思って、ツーリング前に「飲みませんか?」って俺が誘っていた。彼も来てくれるそうで、ホテルで落ち合う手筈を整い30分待って合流。ほぼ1年ぶりの再会でした。お久しぶりです!!!
さすがに石巻では俺には土地勘がないので、彼にお任せして居酒屋に。いろんなお話をしながら楽しい時間が過ぎて行った。彼との接点はお互い北海道の標津にあるモシリバの客同士。実際同宿したことは一度もないけど、ネットを通じて仲良くなった間柄。そんなんで、イタズラ電話じゃないけどモシリバに電話をかけてみる。オーナーの中村さんが出て途中otabeさんに代わってもらったらビックリされちゃった。まさか、一緒に飲んでいるなんて考えてもいなかったそうな、、、、。でしょう〜〜ね!でも生ビールが美味い。って北海道で食べていなかったから〜〜ザンギが食いて〜〜〜って思ったけど、ここは本州、、、、しっかり鶏のから揚げになっていたね!!!面白いのはホッケの焼きもの、、、、メニューにはしっかり「ホッケの半身」って書いてあったけど、、、あれれ?半身どころか1/3身じゃん?それにメッチャ小さいし、、、、そもそも北海道で半身なんて聞いたことないよ!北海道でホッケ注文したら大きすぎて食べるの辛いもん。
21時にはお開きとなってホテル前でお別れする。お世話になりました〜〜!さ〜てシャワーでも浴びて寝ようか。さすがに今日は走りすぎたし、ショッキングなものを見すぎた。ってお休みなさ〜〜い!zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
 本日の走行距離 374km
7月21日
朝は6時過ぎに起床。シャワーで覚醒を促す。あ〜気持ちいい。テレビを見ると福島方面が曇りなんだけど、ところに寄り雨なんだとか、、、。ところに寄ってほしくないんだけど。7時に朝食。昨日飲みすぎたし食い過ぎたので軽く済ます。で、8時頃出発。実は昨日otabeさんがこっち方面を案内してくれるって誘っていただいたんだけど、このまま福島沿岸まで走っていきたいのと、そこそこの時間に家に帰りたかったので遠慮させていただいた。ゴメンナサイ!ホテルの近くの三陸自動車道で仙台方面に。
三陸自動車道は鳴瀬奥松島ICからが有料区間の始まり。今までは無料の自動車道だった。久しぶりに通行券を受け取って出発する。時間短縮するには うってつけの道路で仙台まですぐ。どこで降りようかな?って思っていたんだけど、あえて仙台はパスして一気に岩沼まで走ってしまおう。
仙台若林JCから直進し仙台東部道路になる。ここでもメディアにはよく出ていたっけ、、、。この仙台東部道路は全区間盛土で作られた高速道路。海岸線より約4km程の場所に、ほぼ平行に建設された道路なので、津波の防波堤の役割をしたんだとか、、、。実際走ってみて進行方向海側と山側の景色は今でも違うのが判る。でも三陸地方よりは少しずつ復興していってるようには感じられたけど。岩沼ICで高速を降りる。で、料金1300円だって!高いなあ〜〜。
誘導路に従って国道4号線に。あ!ここ昨年も見ているじゃん。(当たり前だけど)今回は国道4号ではなくて、あえて国道6号線をチョイス。行ける所まで行ってみるか。しかし直進すれば早く帰れるのに、、、やっぱりマニアックなんだな!俺って!
途中で見つけた国道6号線のキロポスト。東京まで330kmもあるんだって、、、、。判ってはいるんだけど、すんごく遠く感じる。まあ時間が早いから何とかなるでしょう!なんて軽い気持ちがあったんだけど あとで とんでもないことになったりして!
行く場所は?って言っても鉄道の駅しか判らないので、何駅か探訪していこうかな?JR常磐線は津波の被災の影響で亘理(わたり)駅から相馬駅間が不通なのと、原発の影響で原ノ町駅から広野駅間が不通になっている。最初に訪れたのは亘理駅の次の駅、浜吉田駅。
広い構内は錆びた線路に雑草が生えてきて寂しく感じられた。それに水戸、上野方面へ行くための階段通路。もともと「スーパーひたち」も ここを走っていた常磐線。これって俺が生きてる間に原発は修復し鉄道も復旧、そして開通するんだろうか?誰も使わなくなった連絡橋って哀愁がただよってきた。
ただ救いなのが、ここら辺は津波の被害もなかった?(のかな?)みたいで駅舎を始め近隣住居も被害は見た目には感じられず、駅舎の待合室には10名ほどの人が列車代行バスを待っていた。たまたまやって来た列車代行バス。JRバス東北のバス1台だったけど、乗客は半分ほど。でも全員がバスに乗車して発車していくと、寂しい駅に戻ってしまったようだ。
そして浜吉田駅より2個目の駅、坂元駅。パーソナルナビで確認しながら走って行くと、、、目の前にコンクリートの堤防が見えた、、、、と思ったら、、、うっそ〜〜これホームじゃん!
駅前のトイレと思われる建物以外、駅舎から何から、、、、とにかく何もない。多分線路は撤去してしまったんだろうけど、。このトイレだって、多分だけど日差しが入るみたいな作りだったから、モダンなトイレだったんだろうけど、、、。
当然ながら駅前もそれらしい建物は一切なく荒野に戻ってしまったかのよう。三陸方面と違って、未だに何も手がつけられていないように感じられた。少なからず一般車は皆無に等しく がれき撤去のためのダンプが行き来しているだけだった。
宮城県山元町を越せば とうとう福島県の新地町。東北最後の県まで戻って来た。
で、坂元駅の次の駅 新地駅。正直ここは場所が非常に判りにくかった。もしナビを持っていなかったら絶対に判らないだろう。常磐線の路盤は線路どころかバラストも枕木も見当たらず、線路のあった場所はダート道にしか見えない。唯一JR敷地内だっていう看板だけが駅だった証明の代わりになるのかな?ここはテレビでも よくよく放送された。電車がホームに停車中に津波の報告を受け、たまたま乗り合わせていた警察官が乗客全員を避難させて一人の死者も出さなかったことで知られている
で、電車は津波をモロに受け大破。九の字に曲がってしまい、車掌と運転士は連絡橋に上って難を逃れたとか。後日マスメディアからはひん曲がった電車をヘリからさんざん映像として流していたっけ。電車の中にいれば大丈夫なんて考えていたら助からなかっただろうと言われている。今では連絡橋もひん曲がった電車も解体され、ここも荒野になりつつある。やっぱり不思議なのは福島原発に近くなれば近くなるほど復旧は進んでいないってこと。やっぱりがれき処理の問題だろうね。岩手のどこよりもガレキが多いもん。
言うまでもなく、一切の建物は流失し、道路も駅前通りだったんだろうけど、その面影も全くなく、荒野と化している。悲しいのは駅前の商店だったであろう場所には、段ボールで○○商店って記載された紙が置いてあったこと、、、。何なんだ、、、この自然の猛威は、、、。そこまでするのか!ってのが今回行ってみて感じた瞬間だった。
そんなに距離的には走ってはいなかったんだけどお昼の時間になってしまったみたいで、道の駅「南相馬」で休憩。ありきたりのラーメンを食べる。まあ、、、インスタント系の生麺かな?そんな味がした。この南相馬が一般人の立ち入り可能な区域の南限で、次の浪江町は未だに立ち入ることができない。売店を物色しているとB級グルメにもノミネートされた「浪江やきそば」なるものを発見。これって美味しそう!ってんで購入してみる。浪江ブランドを少しでも知らせてあげたいし。
本来ならば、道の駅「南相馬」地域がほぼ南限で、さらに南下するには原発の立ち入り禁止区域に該当しない県道12号線で内陸部に入って行かなければならない。そのためさらに南には住宅地もあるんだけど、ほとんど車の往来はなくなってしまう。国道脇にはファミリーマートやセブンイレブンなどのコンビニがあるんだけど、入口はベニヤでふさがれ営業なんてしていなかった。そりゃそうかもしれないな。
案内板で見る「いわき 67km」の表示。何もなければ1時間ほどの距離なんだけど、現在では少なくとも4時間はかかってしまうだろう。所々に積まれていたがれき。あきらかに木材が一カ所に集積している。しかし、、、これこそ受け入れてくれる自治体はないだろうな。はたしてどう処理していくんだろうか?政府はいつ対策してくれるのかな。
道の駅から走る事15km。とうとう通行止めが始まった。この先は地元の一部の許可を受けた者以外は一切の立ち入りを禁止される。あわよくば、、、あと2km走らせてくれたら国道114号線で楽に二本松に抜けて帰れたんだけどなあ、、、、。さすがに交渉してみるもののダメはダメ!当然と言えば当然だけどね。今日の担当は群馬県警の警察官だった。ご苦労様でした。近隣の県警でシフトを組んでいるそうだ。
当然のことながら道の駅までUターンして県道12号線で内陸部に入る。峠を越える関係で霧雨から本降りの雨まで降ってきて合羽を着こむ。今回最終日まで合羽を着るとは。おまけにショートカットしようと走っていたら、道が判らなくなり、、、、いやナビに逆らっていたら、栃木県に向かうどころか、より水戸方面に向かってしまい、大きく時間ロス。諦めて正攻法で走って白河へ。まだ、、、福島県かあ〜〜参ったなあ!!何気に見たキロポスト。東京までまだ186kmもある。逆算すると150kmは走るのか、、、。今日もシンドイ1日になったかな。
で、どうでもいいけど昨年みたいに50kmごとのキロポストで遊んで?いこうかな?って150kmポスト通過が18時30分頃。去年が18時50分頃だったから、ほとんど同じ時間じゃん。
100kmポスト通過が19時30分で50kmポスト通過時刻が20時20分昨年より30分早い。
やっと埼玉県に入った。いや〜〜長かった。後半は北海道ツーリングだったのか?三陸横断ツーリングだったのか?自分でも判らなくなってしまったもんね。でも今回も無事故無違反で無事自宅に帰る事ができました。9日ぶりの我が家にてバイクから荷物をおろして、シャワーを浴びビールを飲むと、恐ろしい程の睡魔が、、、。やっぱり疲れていたんだね。体は正直だわさ!!片づけは明日にして何はともあれ爆睡開始!!!!!zzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
本日の走行距離 492km
 ツーリングの総走行距離 3104km 北海道内での総走行距離 2121km
編集後記
1年ぶりの北海道ツーリング。昨年と同じスクーターにてチャレンジしました。今回は特に雨に降られっぱなしで辛かったですね。出発する前にある程度の想定はしていたんですが。今回も観光客にはマイナーな沼や湖をはじめ林道めぐり、難読地名めぐりと、ちょっと趣向を変えてツーリングしてきました。さすがに層雲峡での中国語が飛び交っていたのは驚きましたけど、、あれ?今回、初めて観光地来てたんだ!って。

でもマニアックにもほどがすぎることばかりしてきました。バイクに長靴が入っているからって、、、キモントウや黄金の滝などはすごく辛かったですね。でもこれがなければ、ただの旅行記になってしまい、ナビらしさがなくなってしまうかもしれません。

昨年の反省をもとに、ピンポイントで宿を決めてルートを自在に走るってのは楽しいですが、まさか300km以上も走り込んでいたってのは驚きました。

帰りは、普通でしたら太平洋フェリーで仙台経由で帰るのが一般的なのですが、ネットでシルバーフェリーに新しく就航したシルバープリンセスって船がすごい!って情報を見て乗船してみたいって思っていました。もちろん150ccのスクーターでその日に帰る事は無理ですので石巻に一泊することにして、三陸沿岸を走ってみようと考えたわけです。平成23年3月11日の東日本大震災。太平洋沿岸の東北地方は甚大な被害を受けました。私も何度も何度もテレビで悲惨な光景を見てきました。しかしながらレポーターやディレクターの主観が多大に入っていて客観的な光景を見る事はないんじゃないかな?って以前から一度は興味本意ではなく真剣に悲惨さを見てみたい。そう思っていました。

そこには、言葉で表せられないほどの悲惨さがありました。たくさんの犠牲を伴いました。なぜ逃げなかったのか?ってテレビでは言われますが、実際には、、、、、簡単に言ってほしくない言葉でした。逃げられるならとっくに避難しているはずです。その前にあんな津波がリアルに来たらひとたまりもないってことが身をもって知らされました。復興はまだまだ続いています。いつの日かボランティアもやってみたくなりました。「がんばっぺ!東北」その言葉を忘れないで行こうと思っています。

とてつもない長〜〜いツーリング記ご覧いただきありがとうございました。
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